2009年2月12日木曜日

ヤンソンの島

 僕は昔から島が大好きで。好きで好きでたまらないわけで。ずっと無人島で過ごしてみたいなんて思うときもあるぐらい好きで。ズッコケ三人組でも無人島の話が好きで。でも結局あそこは瀬戸内海の島だったわけで。そんな僕にとって羨ましい生活をしている人がいました。フィンランドの国民的作家、トーベ・ヤンソン女史です。女史は、バルト海の絶海の孤島、クルーヴハル島で一年の半分を過ごし、ムーミントロールに代表される作品群を書き上げたそうです。そのクルーヴハル島に興味をもった僕は、いろいろとネットで調べてみました。

http://webdb.scope.ne.jp/special/hannan_pj/0009.html

 クルーヴハル島は、岩だらけの島で、面積は6000平方メートル。7、8分で回れてしまう狭い島だそうです。6000平方メートルの島という大きさがピンとこなかったので、さらに調べてみました。すると、似たような大きさの島が見つかりました。

http://imagic.qee.jp/sima4/nagasaki/utajima.html

 詩島という小島です。さだまさしさんが名づけたという、風光明媚な場所らしい。こうしてみると、そう狭いわけではないが、半年過ごす場所としてはいかにも心もとない……。その上、写真で見るクルーヴハル島は岩だらけで木とかもほとんど生えてなさそうです。こんな寂しい島で、ただひたすら小説を書いていたんですね。

 とにかく、バルト海に浮かぶ絶海の孤島で過ごす半年というのが僕にはピンとこない。ヤンソン女史は、一人だったわけじゃないらしいです。グラフィックデァイナーのトゥーリッキ・ピエティラというパートナーの女性といっしょだったようですが、それでもなあ。

 でも、寂しいと思うのは、僕が現代日本で暮らしているからそう思うだけであって、本人はそうじゃなかったのかもしれません。さらに調べると、どうやらこのトゥーリッキという女性はヤンソンの恋人であったようです。つまり、ヤンソンはレズビアンだった。この話の真偽はわかりませんが、そう考えるとなるほどな、と思います。ヤンソンがこの島で暮らしたのは、1964年から、1992年までの28年間。最近は同性愛者もちゃんと認められつつありますが、五十年も昔のキリスト教圏の国では、風当たりも相当強かったのではないでしょうか。そう考えると、僕にはこの岩だらけの島が、ヤンソンが人々の好奇の目を逃れ、恋人と心ゆくまで暖かい時を過ごすために逃げ込んだオアシスのように思えるのです。

 ところでクルーヴハル島には桟橋がないそうです。上陸の際には小船で岩に乗り付けるそうですが、波が高くてそれができない場合があった。ヤンソン女史はそういった場合、船から海に飛び込んで、泳いで島に渡ったそうで。そのときヤンソン女史は50を超えていたとの話。すごいな……。冒険作家も真っ青のエピソードじゃないか。